紫陽花がいろんなところに咲いていて、そんな季節なんだと感じます。この梅雨があければ夏です。
自粛から自衛の時期に入ったといわれています。
スタジオでも感染予防をとりながら、進めていきたいとおもいます。
いろんな事があって、変わらない日々というのはないのだとしみじみ思います。
7月
毎週火曜日10時10〜入門AB 11時30〜初級 【スタジオエル】
毎週水曜日【1日はありません】19時05〜 入門AB 20時30〜中級 【幟町スタジオ】
金曜日【3日17日31日】 19時30〜 初級 【幟町スタジオ】
まだ変則のクラスもありますが、よろしくお願いいたします。
2020年06月30日
Golden Era 【ゴールデンエラ】 vol.1
最近富に、ゴールデンエラ【ベリーダンス史の黄金期】のベリーダンサーやそのダンス、音楽が再盛り上がりしていて(ここ数年かな)、私自身なんとなく聞いてるけど、程度だったので、少し調べてみました。ダンサーとしての力量もですが、何気に色恋が多く、何回も結婚していたり、芸能業界あるあるな感じなのかな、と思ってみたり。。幼少の不遇な生活環境を思うと、華やかでスターという表の顔とは違う、生き抜いてきた強さのようなものが根底にあるんだろうなとか、いろいろ思ってしまいました。
Golden Era
1940〜1960年代のベリーダンス業界における黄金期をさし、当時のエジプトの映画の黄金期ともかぶっている。この頃のダンサーは多くの映画に出演している。
この時代の立役者としてはずせないのが
Badia Masabni(1892−1974)
ダマスカスで生まれ、父はレバノン人、母はシリア出身。7人兄弟の一人として生まれます。
父親が石鹸工場を営んでいましたが、父親の死後、経営は傾き工場は消失してしまいます。
彼女自身、ベリーダンサーで、歌手でもあり、女優でもあり、振付もし、エンターテイナーでした。当時のベリーダンサーの世話役?元締め的な存在でもあり、そして今で言うできる女、やり手のビジネスウーマンでした。
1920年代以降次々と、キャバレー(高級クラブ)をオープンさせていきます。
その中でも1930年にカイロにオープンした
casino opera of cairo はとても有名で、ここから taheyya kariokka、samia gamalが生まれていきます。
当時の高級クラブではソロで躍らせるということはなく、、5人くらいの女の子たちがコーラスを歌っていました。バディアはその中から目を引く子を選抜し、ソロとして躍らせるようにしたのです。
それまで劇場向きではなかったRaks sharki をステージ上で踊れるような形式に持っていったのもバディアです。
1968年のインタビューがyoutubeにのこっています。て、、アラビア語なのですが。。。でもちょっとジルを鳴らす感じとか、貫禄あります。
https://m.youtube.com/watch?v=8yBO4TELvqQ
Taheyya kariokka(1915-1999)
スエズ運河近くのイスマイリヤの出身です。彼女が生まれたとき父親はすでに60を超えていたといいます。
まだ20代だった母親は父の死後彼女を異母兄弟のアフメドと暮らすよう彼のもとに送られますが、彼女は彼から奴隷のような扱いを受け、暴力も振るわれ、鎖で繋がれたりもしました。何度も逃げようとしましたが、つかまるたびにひどい仕打ちを受けました。彼女は甥のオスマンの助けで、カイロへにげ、クラブのオーナーでもありアーティストのsouad mahasenと一緒にいる事となります。彼女は彼にクラブで雇ってくれるよう何度か頼みますがsoadは彼女にとってクラブで働くことは不名誉になるからと、断りました。(キャバレーで働くことは普通の職種として考えられなかった時代で、、社会的地位は低かったです)
その後Badiaが彼女に目をつけ、自身の座に誘い、彼女はカジノオペラに出ることとなるのです。
このとき、BadhiaがつけたステージネームがTaheyya Mohamedです。彼女はすぐにソロダンサーとしてしられるところとなり、また、当時カイロで流行っていたブラジルのサンバの'Carioka'というダンスを習い、それがとても得意で評判だったことで、次第にTaheyya kariokka という名前が定着していったのです。
彼女はダンサー、歌手、女優として有名になり、数多くの映画に出演しています。
生涯を通して14回結婚しているタヒヤですが、その中には当時の有名な俳優Rashdy Abazaも含まれています。彼はsamia gamalとも結婚しています。
子どもに恵まれなかったタヒヤは女の子を養子にしています。タヒヤは後にロンドンに移り住み、1999年9月心臓発作のためなくなっています。享年84歳でした。
映画 Taht El shibak より
https://www.youtube.com/watch?v=9uII1idV4hQ&t=59s
他にも
https://youtu.be/SEGH1hCu3yc
素朴で繊細、ぎらぎらしていないナチュラルな感じがなんともいえないです。でもセクシー。
この頃のダンサーさん髪も短いですよね。周りの男子の作りこんだひげが、なんとも。
余談ですが1972年に女優のSoad Hosnyが主演している映画にタヒヤが出ています。この映画は当時めちゃめちゃ人気だったらしく、途中の52分くらいのところのhosnyがYawad ya teel の曲にあわせて踊るシーンが本当にかわいらしくて、当時のフリンジたっぷりの衣装とか、髪型など、すごく楽しめます。
私、この曲ナンシーアジュラムのだと思っていましたが、Hosnyが先でした。彼女のベストアルバムにも入ってました。
watch out for zozo
https://www.youtube.com/watch?v=V3yt7NWCmCY&t=3256s
※長くなったので、samia gamal からのお話は次回に。
#tahheya kariokka #golden era
Golden Era
1940〜1960年代のベリーダンス業界における黄金期をさし、当時のエジプトの映画の黄金期ともかぶっている。この頃のダンサーは多くの映画に出演している。
この時代の立役者としてはずせないのが
Badia Masabni(1892−1974)
ダマスカスで生まれ、父はレバノン人、母はシリア出身。7人兄弟の一人として生まれます。
父親が石鹸工場を営んでいましたが、父親の死後、経営は傾き工場は消失してしまいます。
彼女自身、ベリーダンサーで、歌手でもあり、女優でもあり、振付もし、エンターテイナーでした。当時のベリーダンサーの世話役?元締め的な存在でもあり、そして今で言うできる女、やり手のビジネスウーマンでした。
1920年代以降次々と、キャバレー(高級クラブ)をオープンさせていきます。
その中でも1930年にカイロにオープンした
casino opera of cairo はとても有名で、ここから taheyya kariokka、samia gamalが生まれていきます。
当時の高級クラブではソロで躍らせるということはなく、、5人くらいの女の子たちがコーラスを歌っていました。バディアはその中から目を引く子を選抜し、ソロとして躍らせるようにしたのです。
それまで劇場向きではなかったRaks sharki をステージ上で踊れるような形式に持っていったのもバディアです。
1968年のインタビューがyoutubeにのこっています。て、、アラビア語なのですが。。。でもちょっとジルを鳴らす感じとか、貫禄あります。
https://m.youtube.com/watch?v=8yBO4TELvqQ
Taheyya kariokka(1915-1999)
スエズ運河近くのイスマイリヤの出身です。彼女が生まれたとき父親はすでに60を超えていたといいます。
まだ20代だった母親は父の死後彼女を異母兄弟のアフメドと暮らすよう彼のもとに送られますが、彼女は彼から奴隷のような扱いを受け、暴力も振るわれ、鎖で繋がれたりもしました。何度も逃げようとしましたが、つかまるたびにひどい仕打ちを受けました。彼女は甥のオスマンの助けで、カイロへにげ、クラブのオーナーでもありアーティストのsouad mahasenと一緒にいる事となります。彼女は彼にクラブで雇ってくれるよう何度か頼みますがsoadは彼女にとってクラブで働くことは不名誉になるからと、断りました。(キャバレーで働くことは普通の職種として考えられなかった時代で、、社会的地位は低かったです)
その後Badiaが彼女に目をつけ、自身の座に誘い、彼女はカジノオペラに出ることとなるのです。
このとき、BadhiaがつけたステージネームがTaheyya Mohamedです。彼女はすぐにソロダンサーとしてしられるところとなり、また、当時カイロで流行っていたブラジルのサンバの'Carioka'というダンスを習い、それがとても得意で評判だったことで、次第にTaheyya kariokka という名前が定着していったのです。
彼女はダンサー、歌手、女優として有名になり、数多くの映画に出演しています。
生涯を通して14回結婚しているタヒヤですが、その中には当時の有名な俳優Rashdy Abazaも含まれています。彼はsamia gamalとも結婚しています。
子どもに恵まれなかったタヒヤは女の子を養子にしています。タヒヤは後にロンドンに移り住み、1999年9月心臓発作のためなくなっています。享年84歳でした。
映画 Taht El shibak より
https://www.youtube.com/watch?v=9uII1idV4hQ&t=59s
他にも
https://youtu.be/SEGH1hCu3yc
素朴で繊細、ぎらぎらしていないナチュラルな感じがなんともいえないです。でもセクシー。
この頃のダンサーさん髪も短いですよね。周りの男子の作りこんだひげが、なんとも。
余談ですが1972年に女優のSoad Hosnyが主演している映画にタヒヤが出ています。この映画は当時めちゃめちゃ人気だったらしく、途中の52分くらいのところのhosnyがYawad ya teel の曲にあわせて踊るシーンが本当にかわいらしくて、当時のフリンジたっぷりの衣装とか、髪型など、すごく楽しめます。
私、この曲ナンシーアジュラムのだと思っていましたが、Hosnyが先でした。彼女のベストアルバムにも入ってました。
watch out for zozo
https://www.youtube.com/watch?v=V3yt7NWCmCY&t=3256s
※長くなったので、samia gamal からのお話は次回に。
#tahheya kariokka #golden era