2020年11月14日

Bahri

過日初級クラス以上で終わったイスカンダラーニの曲を添付します。
Bahrはスタジオ名でもある【海】を意味しますが曲名のBahriは形容詞になり、海からの、という意味になります。海から来たかわいい女の子にめろめろ、という内容でしたね。歌の歌詞もおってブログに上げます。

イスカンダラーニの地域、アレキサンドリアが地中海に面していることもあり、イスカンダラーニは海を使った曲がとても多いです。馬車に乗っていたら、海岸にいるかっこいい男子を見つけたとか(笑)
四方が海に囲まれた島国の日本とはまた、感じ方が違うのだなあと思います。私がアレキサンドリアに出向いたときも(かなーリ昔のことになりますが)いわゆるカイロに比べて服装も、街の雰囲気も、開放感にあふれていて、
ヨーロッパに近いんだなあと感じました。焼きたてのピザがおいしかったのを覚えています。
ダラアな女の子になりきって踊ってほしいです。
https://fire.st/A2MPncD
保管は14日間
posted by YOKO at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ベリーダンス

2020年11月04日

11月スケジュール

ストーブ出したり少しずつ街中も紅葉してきて、すっかり秋になってきました。2020年はあと2ヶ月。
体調に気をつけ寒さに負けない身体つくりをしましょう。今月は28日がスタジオハフラです。
11月
毎週火曜日 10時10から入門AB 11時30から初中級クラス スタジオエル
★3日は祝日でお休みです。17日はテクニッククラスとなります。
毎週水曜日 19時05〜入門AB 20時30〜中級クラス 幟町スタジオ
毎週金曜  19時30〜 初級クラス (幟町スタジオ)
★20日はライブジュークでのショーのためお休みです。
※13日・26日 10時10〜初級クラス (スタジオエル)
※20日のライブジュークでのショーは無料観覧ができます。【予約制】別途ドリンク代が600円かかります。
また当日はYOUtubeでのライブ配信も予定しています。


詳細はレッスン時にスタジオ等でご確認ください。 
posted by YOKO at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ベリーダンス

2020年10月19日

Golden era 【ゴールデンエラ】vol.2

すっかり前回から何ヶ月もたってしまいました。Golden eraの頃のダンサーさんを改めてみてみると、アクロバティックな激しい動きはないものの、シンプルで、かつセクシーだけど品がある、シャラシャラしているシミはなんとも繊細で、なんともいえないものがあります。
世界中にベリーダンスが広まった昨今、ルーツを見直し、この時代のラクスシャルキのよさが改めてベリーダンス界に広まってきている気がします。
Samia Gamal (Zaynab khalil Ibrahim Mahfuz)(1924〜1994)
カイロから南に110キロほど行ったベニスエフというところで産まれました。数ヵ月後には家族でカイロに引っ越してきます。ハンハリーリ近くに住むことになりました。【ハンハリーリはカイロにある大きな市場で観光地にもなっていますが、香辛料から、雑貨、照明、カフェ、香水、なんでもあります。もちろんベリーの衣装屋さんも!とにかくなんでもあります。ごみごみしていて迷いながらショッピングするのもこれまた楽しいです。私が最初に行ったときは小松先生と一緒でしたが、ある衣装屋さんは建物の1階から4階まですべてベリー商品が置いてあり、師匠がヒップスカーフを数百枚単位で購入していたのに驚いたのを覚えています。当時はネットのお店も実店舗も日本にはなかったですし、先生が懸命に買い付けして先生から買うしかない時代でした。】
Samiaは何年も後に当時Casino Operaなどカイロ有数の高級クラブのオーナーでもあったBadia Masabuniと出会い、Badiaのダンスカンパニーに入るよう誘われ、申し出を受けます。最初はBadiaや当時のスターダンサー、Taheyya Kariokaのもとで学んでいましたが、程なく、ソリストとしての実力を発揮し、あっというまにソロダンサーとして活躍し始めます。
習っていたバレエやラテンダンスを取り入れSamia独自のスタイルを作り上げていきました。ステージで高いヒールを履いて踊ったのも彼女が初めてといわれています。
特にfluid movementといわれる流れるような動き、それまでのスタイルとは違う、より広いスペースを使う踊り方も彼女がバレエから取り入れていったものです。
Samiaは映画にも何本も出演し活躍していきます。
↓↓これは1956年の映画 【Zenobia】の一部
https://www.youtube.com/watch?v=-IFncIT1jE8

彼女の人生に欠かせない存在がFarid El Atracheです。彼は当時の有名な作曲家であると同時に、歌手、ウード走者、俳優でもあり、彼女と多数の映画で共演しています。彼女にもいくつかの曲を作曲しています。
【私の好きなCDシリーズ、JAlilah's Raks Sharki5の2曲目はすべてMohamed Abdel Wahabの作曲だと思っていたのですが、これは4部構成になっていて1番目のZenoubaと3番目のAna Alli Wa UtiiはFaridが彼女のために作曲したものです。この間に私たちにはお馴染みのZEINAがはいってますね。】
参考までに:SAMIA's DANCE
samia gamal.jpg
★左がSamia Gamal. 右がTahiya Kariokaです。実は二人は10歳くらい年が離れているのですが、生まれ育った生活環境というか、境遇は似ていて、苦労して育っています。
2人とも10代からショーダンサーとなっています。

Faridとは映画の中だけでなく実生活でも恋人関係にあった二人ですが決して結婚することはありませんでした。Faridは結婚するとそのことでお互いの才能をだめにする、つまりいい関係が保てない、のように発言していましたが【結婚=生活、ですから、恋愛とは違いますよね。いつの時代もそこは同じなのですかね。。】
もちろんそれだけではなく社会的地位から、また、家もベリーダンサーとの結婚は到底認められるものではなかったからです。
それでも、彼はSamiaをとても応援していました。
1949年 当時のエジプト国王FaroukはSamiaを’エジプトの国民的ダンサー’であると声明を出し、翌
1950年にアメリカの連れて行っています。このときNYの当時はやっていた高級クラブで踊っています。
その後50歳近くになって、いったん、現役を退くのですが、その後再開し1980年代の頭まで踊りました。
彼女のカリスマ性のある踊りは映画を通してエジプトだけでなく世界中にエジプトのオリエンタルダンスを知らしめ、賞賛されることになったのです。
★私は初めて観たショー、(学園祭のサークルの発表でしたが。)でベリーダンスというものを知り、その音楽や衣装、手にはめるジル(サガート)の音もすごく胸に、というかお腹に響き、そこから数十年ですが、
現代版にいろいろアレンジされている有名な曲をたどっていくと、黄金期といわれるベリーダンサーの人生を垣間見れてますます好きになります。
師匠いわく、「ベリーダンスにはその国の、文化と歴史が背景にある、」ということを続けていく以上忘れてはいけないなと思います。
なかなか進みませんが、次回はNaima Akifです。
#Golden era#samia gamal





posted by YOKO at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ベリーダンス

2020年07月13日

Mahmoud Reda 

7月10日にエジプトのレダ国立民族舞踊団の創設者である、マフムードレダが亡くなりました。享年90歳でした。今ベリーダンスを習っている方は知らない方も多いかも知れませんが、エジプトでは知らない人はいないくらい有名な巨匠、レジェンドです。
今のベリーダンスの多くの動きやステップはフォークロアから来ていて、しかもあまり意識していないだけでオリエンタルの振りの中のステップや動きにはレダステップと名前がつくものも多くあります。エジプトのフォークロアを彼が独自のバレエ的要素を取り入れ舞台芸術として高めていき
エジプトで初の国立舞踊団を創設し、後に世界ツアーを5回、カーネギーホールでも公演しています。
私は私が所属していた小松芳アラビア舞踊団の主宰小松先生が、レダの愛弟子、直弟子であったこともあり、
エジプトで先生と一緒に一度レダのスタジオで会っています。ただ、そのときは私自身習い始めて間もなく、レダがいかに偉大なのかも知らず、、、。
当時はベリーダンスにしか目がいかなかった私ですが、小松先生のおかげでレダの振付のフォークロアをスタジオ公演で踊る機会にも恵まれました。
↓はレダがFarida Fahmy とのレッスン風景
https://youtu.be/FKg5mdk4fNY
ぴたっと二人の息が合っていて、何度も見てしまいます。そして、もちろん伴奏は生演奏。。。

↓はその二人の演舞、レダ舞踊団メインのミュージカル映画です。

Gharam fi al-Karnak
https://youtu.be/qku_E4nbfAY
55分くらいからのルクソールのカルナック神殿の中でレダが踊るシーン、ファラオの前でのファハミの登場のシーンもとても素敵です。その後の群舞も。何がって、ファラオが指を鳴らそうと、何度もやってみて、できた!、のシーンが笑えます。私もこれ、うまく鳴らせるのは何回かに一度。。。
カルナック神殿の前で舞台を作るシーンや、踊るシーン、、ミュージカル映画として素晴らしく、最初から最後までみてしまいます。
始まりから1時間19分くらいのところから、サイディが始まり、レダ舞踊団の演舞がずっと入っています。
男の人のアサヤ、群舞は圧巻ですし、レダのサイディ、見ほれてしまいます。踊りもですが、めちゃめちゃ
イケ面です。
この映画は1967年に公開され、これ以降エジプトでもレダ舞踊団が広く国民に認知されていきました。ダンサーも、演奏している楽団もレダ舞踊団で、映画の監督はレダの兄のAli Redaです。Aliは実生活ではFarida Fahmyの夫でした。
ダンスはその国の文化や歴史背景をよく理解してこそ、と小松先生は言っていました。

世界各地のマスターティーチャーがレダの死をいたみ、彼の精神がこれからも受け継がれていくことを記しています。心よりご冥福をお祈りいたします。

#Mahmoud Reda #マフムードレダ




posted by YOKO at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | ベリーダンス

2020年06月30日

Golden Era 【ゴールデンエラ】 vol.1

最近富に、ゴールデンエラ【ベリーダンス史の黄金期】のベリーダンサーやそのダンス、音楽が再盛り上がりしていて(ここ数年かな)、私自身なんとなく聞いてるけど、程度だったので、少し調べてみました。ダンサーとしての力量もですが、何気に色恋が多く、何回も結婚していたり、芸能業界あるあるな感じなのかな、と思ってみたり。。幼少の不遇な生活環境を思うと、華やかでスターという表の顔とは違う、生き抜いてきた強さのようなものが根底にあるんだろうなとか、いろいろ思ってしまいました。
Golden Era
1940〜1960年代のベリーダンス業界における黄金期をさし、当時のエジプトの映画の黄金期ともかぶっている。この頃のダンサーは多くの映画に出演している。
この時代の立役者としてはずせないのが
Badia Masabni(1892−1974)
ダマスカスで生まれ、父はレバノン人、母はシリア出身。7人兄弟の一人として生まれます。
父親が石鹸工場を営んでいましたが、父親の死後、経営は傾き工場は消失してしまいます。
彼女自身、ベリーダンサーで、歌手でもあり、女優でもあり、振付もし、エンターテイナーでした。当時のベリーダンサーの世話役?元締め的な存在でもあり、そして今で言うできる女、やり手のビジネスウーマンでした。
1920年代以降次々と、キャバレー(高級クラブ)をオープンさせていきます。
その中でも1930年にカイロにオープンした
casino opera of cairo はとても有名で、ここから taheyya kariokka、samia gamalが生まれていきます。 
当時の高級クラブではソロで躍らせるということはなく、、5人くらいの女の子たちがコーラスを歌っていました。バディアはその中から目を引く子を選抜し、ソロとして躍らせるようにしたのです。
それまで劇場向きではなかったRaks sharki をステージ上で踊れるような形式に持っていったのもバディアです。
1968年のインタビューがyoutubeにのこっています。て、、アラビア語なのですが。。。でもちょっとジルを鳴らす感じとか、貫禄あります。
https://m.youtube.com/watch?v=8yBO4TELvqQ
Taheyya kariokka(1915-1999)
スエズ運河近くのイスマイリヤの出身です。彼女が生まれたとき父親はすでに60を超えていたといいます。
まだ20代だった母親は父の死後彼女を異母兄弟のアフメドと暮らすよう彼のもとに送られますが、彼女は彼から奴隷のような扱いを受け、暴力も振るわれ、鎖で繋がれたりもしました。何度も逃げようとしましたが、つかまるたびにひどい仕打ちを受けました。彼女は甥のオスマンの助けで、カイロへにげ、クラブのオーナーでもありアーティストのsouad mahasenと一緒にいる事となります。彼女は彼にクラブで雇ってくれるよう何度か頼みますがsoadは彼女にとってクラブで働くことは不名誉になるからと、断りました。(キャバレーで働くことは普通の職種として考えられなかった時代で、、社会的地位は低かったです)
その後Badiaが彼女に目をつけ、自身の座に誘い、彼女はカジノオペラに出ることとなるのです。
このとき、BadhiaがつけたステージネームがTaheyya Mohamedです。彼女はすぐにソロダンサーとしてしられるところとなり、また、当時カイロで流行っていたブラジルのサンバの'Carioka'というダンスを習い、それがとても得意で評判だったことで、次第にTaheyya kariokka という名前が定着していったのです。
 彼女はダンサー、歌手、女優として有名になり、数多くの映画に出演しています。
 生涯を通して14回結婚しているタヒヤですが、その中には当時の有名な俳優Rashdy Abazaも含まれています。彼はsamia gamalとも結婚しています。
子どもに恵まれなかったタヒヤは女の子を養子にしています。タヒヤは後にロンドンに移り住み、1999年9月心臓発作のためなくなっています。享年84歳でした。
映画 Taht El shibak より
https://www.youtube.com/watch?v=9uII1idV4hQ&t=59s
他にも
https://youtu.be/SEGH1hCu3yc
素朴で繊細、ぎらぎらしていないナチュラルな感じがなんともいえないです。でもセクシー。
この頃のダンサーさん髪も短いですよね。周りの男子の作りこんだひげが、なんとも。

余談ですが1972年に女優のSoad Hosnyが主演している映画にタヒヤが出ています。この映画は当時めちゃめちゃ人気だったらしく、途中の52分くらいのところのhosnyがYawad ya teel の曲にあわせて踊るシーンが本当にかわいらしくて、当時のフリンジたっぷりの衣装とか、髪型など、すごく楽しめます。
私、この曲ナンシーアジュラムのだと思っていましたが、Hosnyが先でした。彼女のベストアルバムにも入ってました。
watch out for zozo
https://www.youtube.com/watch?v=V3yt7NWCmCY&t=3256s


※長くなったので、samia gamal からのお話は次回に。
#tahheya kariokka #golden era

posted by YOKO at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ベリーダンス